【労働経済判例速報2019.10.10】
【抄読会、学会への参加及び自主的研鑽が労働時間に当たらないとされた例】⇒長崎地裁令和元年5月27日判決〈長崎市立病院事件〉
第1 事案の概要
被告(以下、「Y」とする。)に平成26年4月1日から勤務していたH(当時33歳)が同年12月18日に内因性心臓死により死亡したことについて、遺族らが、①Hの時間外労働に対する未払賃金請求、及び②Hの死亡の原因が、過重労働であり、Yに安全配慮義務違反があることを理由とした損害賠償請求並びに③Hの死亡の原因が過重労働であるとして、相続人以外の遺族固有の慰謝料請求をしたという事案。
第2 主な争点
・Hの実労働時間並びに未払い賃金の有無及び額
・Hの過重労働と死亡との因果関係
・Yに安全配慮義務違反があるか
第3 裁判所の判断
1 Hの実労働時間並びに未払い賃金の有無及び額
⑴ 実労働時間
労基法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下におかれている時間を言い、実作業に従事している時間のみならず、作業と作業との間の待機時間である手待時間も含まれる。実作業に従事していない仮眠時間であっても、一定の場所で待機し、必要に応じて直ちに実作業に従事することが義務づけられているときは、その必要が生じることが皆無に等しいなど、実質的に義務付けを否定できるような事情が存しない限り、当該時間に労働から離れることが保証されているとはいえないから、労働者が労働契約上の役務の提供を義務付けられており、実作業に従事していない時間を含めた全体が使用者の指揮命令下に置かれているものとして、労働時間に該当する。以下、これを前提に、各業務の労働時間性を判断する。
⑵ 各種業務へのあてはめ
まず、所定労働時間外に行われた通常業務は原則として労働時間に該当するが、所定労働時間外の自主的見学時間については、Yの指揮命令に基づく労働とは言えず、労働時間には該当しない。
当直医は、仮眠時間も含めて当直業務中に労働から離れることが保証されていたとはいえず、全体として労働時間に該当する。
看護師勉強会、救命士勉強会及び症例検討会については、その目的及びYからの打診を断ることの困難性からすると、その準備時間や講義時間等は使用者の指揮命令下にある労務提供であると評価でき、労働時間に該当する。
派遣講義は、Yの指示により派遣されるものであることから労働時間に該当する。なお、Hは対価として相応の講師料を受領していたことから、派遣講義の準備採点等に要した時間は割増賃金の基礎となる労働時間にはならない。
また、抄読会や学会への参加、自主的研鑽の時間について、まず、自身の担当する患者の疾患や治療法を調査する時間は労働時間に入るが、単に自身の専門分野等について調査する時間は労働時間には該当しない。抄読会や学会への参加は、Hの業務との関連性がやや弱く、自主的研鑽のうち、単に自身の専門分野等を調査する時間の範疇に含まれるため労働時間とは言えない。
2 Hの過重労働と死亡との因果関係
脳・心臓疾患の業務上外の認定については、厚生労働省通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成13年12月12日付け基発第1063号。※以下、「認定基準」という。)【パンフレットはこちらから】が定められており、これに沿って判断すると、Hの労働時間数は、認定基準の「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合」に該当し、業務と死亡との関連性は強い。また、Hは、相当程度の精神的緊張を伴う業務を深夜にわたって余儀なくされるなど、死亡前6か月の長期にわたって、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労し、これを原因として心疾患を発症したものと認められる。
したがって、Hの過重労働と死亡との間には因果関係が認められる。
3 Yの安全配慮義務違反
YはHに対して使用者としての安全配慮義務を負っていたところ、Hをはじめとする心臓血管内科医らの労働時間について、心臓血管内科医らが自ら申請する時間外労働時間のみを把握するにとどまり、実際の労働時間を把握していないかった上、勤務体制の見直し等の対策もしていなかった。そうすると、Yは、Hらについて死亡を含む何らかの健康状態の悪化を予見できたのに具体的な方策をとらなかったといえ、安全配慮義務違反が認められる。そして、上記のように、Hの死亡は、過重労働により心疾患を発症したことに原因があるから、Yの安全配慮義務違反とHの死亡との間にも相当因果関係が認められる。
第4 結語
以上より、Yは、その安全配慮義務違反に起因して死亡したHの損害につき、不法行為に基づく損害賠償請求を負う。
〈参考判例〉
最高裁平成12年3月9日判決(民集54巻3号801頁。「三菱重工業造船場事件」)
最高裁平成14年2月28日判決(民集56巻2号361頁。「大星ビル管理事件」)
最高裁平成19年10月19日判決(民集61巻7号2555頁。「大林ファシリティーズ事件」)
【雇用契約締結に当たり、勤務地等につき信義則上の説明義務違反があったとされた例】⇒東京地裁平成31年3月8日判決〈シロノクリニック事件〉
第1 事案の概要
原告(以下、「X」とする。)が、美容皮膚科を経営する被告(以下、「Y」とする。)と雇用契約を締結するにあたり、Yの指示に従って、X負担で研修を受講して修了したにもかかわらず、Yに就労を拒否されたとして、主位的に、不当利得返還請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、同研修に要した費用及び遅延損害金並びに雇用契約による給与支払請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、同研修の日当、研修修了後の未払給与及びこれらに対する遅延損害金の支払いを求め、予備的に、被告による説明義務違反を理由とする不法行為による損害賠償請求権に基づき、同研修に要した費用、同研修の日当及びこれらに対する遅延損害金の支払いを求めた事案。
第2 主な争点
・雇用契約の成否・効力
・本件研修の受講に要した費用の支払い請求の可否
第3 裁判所の判断
1 雇用契約の成否及び効力について
まず、XとYは、平成27年10月17日に雇用契約確認書を取り交わしており、そこには雇用契約の締結が明記されている上、労務の内容や報酬などが具体的に記載されていることから、同日XY間で雇用契約(以下、「本件雇用契約」という。)が成立している。しかし、Xには研修の必要があったこと、研修の修了時期が明確でなかったこと等の事情からすると、本件雇用契約の効力が生じるのは、研修が修了し、XY間の協議の下決められた勤務開始日からと考えるのが相当である。また、Yは、Xに対してXの希望する店舗以外での勤務もありうる旨伝えており、雇用契約確認書にも勤務地については会社が指定した場所と記載されている上、配置転換・出向の可能性についても明記されていること等からすると、本件雇用契約において、Xの勤務地をX希望の店舗に限定する旨の合意は認められない。
2 本件研修の受講に要した費用の支払い請求の可否
Xは、本件雇用契約の効力が生じていること及び勤務店舗を限定する合意があることを前提に、不当利得返還請求等に基づく請求等をしている。しかし、上記のように本件雇用契約は勤務開始日から生じるのであり、Xが研修を受講していた段階では本件雇用契約の効力は生じていない。
したがって、YがXの賃金を不当に減額したと評価することはできず、Xが研修費用等を負担したことが賃金全額払いの原則(労基法24条1項)ないし公序良俗(民法90条)に反するとも言えないため、不当利得返還請求に基づく本件研修費等の返還請求は認められない。
さらに、Yは、本件研修修了後、Xとの面談や面接を複数回設定し、XY間の協議の機会を設けており、Yが不当にXの就労を拒否したとも言えないため、Yに対する就労請求権の侵害を理由とする不法行為による損害賠償請求も認められない。
なお、Xは、本件雇用契約又は就労請求権の侵害による不法行為に基づいて給与支払請求をしているが、本件雇用契約の効力は未だ生じていないのであるから、この点に関するXの請求は認められない。
3 Yの説明義務違反を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求の可否
Yは、本件雇用契約の締結に先立って勤務地についての説明求めるXに対して、他の店舗に応援に行ってもらうことがある可能性については説明しているが、他の店舗への配置転換の可能性や長期にわたり他の店舗で勤務しなければならない可能性があることについては説明していない。また、雇用契約確認書には出向の可能性については記載があるが、所属や勤務地がX希望店舗であることが明記されていることからすると、上記各可能性が必ずしも明確にされていたとは言えない。
そうすると、Yは、Xに対して、本件雇用契約の締結に先立ち、長期間にわたり他の店舗に勤務しなければならない可能性があることについて十分な説明を尽くしたと認めることはできない。
したがって、Yは、Xに対する信義則上の説明義務に違反したといえる。
なお、損害額については、Xが本件研修の時間をほかの就労に充てて本件研修と同額以上の報酬を得ることができたとは認められないため、本件研修費等の範囲で請求が認められる。
第4 結語
以上のように、Xの主位的請求はいずれも理由がないため棄却され、予備的請求については、信義則上の説明義務違反があるため、本件研修費用等と同額の損害の限度で認容された。
〈参考法令〉
・民法90条
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
・労働基準法15条
1 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。
2 前項に規定によって明示された労働条件が事実相違する場合においては、労働者は、即時に労働契約を解除することができる。
3 前項の場合、就業のために住居を変更した労働者が、契約解除の日から14日以内に帰京する場合においては、使用者は必要な旅費を負担しなければならない。
・改正後労働基準法第36条
4 前項の限度時間は、一箇月について四十五時間及び一年について三百六十時間(第三十二条の四第一項第二号の対象期間として三箇月を超える期間を定めて同条の規定により労働させる場合にあつては、一箇月について四十二時間及び一年について三百二十時間)とする。
5 第一項の協定においては、第二項各号に掲げるもののほか、当該事業場における通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に第三項の限度時間を超えて労働させる必要がある場合において、一箇月について労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させることができる時間(第二項第四号に関して協定した時間を含め百時間未満の範囲内に限る。)並びに一年について労働時間を延長して労働させることができる時間(同号に関して協定した時間を含め七百二十時間を超えない範囲内に限る。)を定めることができる。この場合において、第一項の協定に、併せて第二項第二号の対象期間において労働時間を延長して労働させる時間が一箇月について四十五時間(第三十二条の四第一項第二号の対象期間として三箇月を超える期間を定めて同条の規定により労働させる場合にあつては、一箇月について四十二時間)を超えることができる月数(一年について六箇月以内に限る。)を定めなければならない。
6 使用者は、第一項の協定で定めるところによつて労働時間を延長して労働させ、又は休日において労働させる場合であつても、次の各号に掲げる時間について、当該各号に定める要件を満たすものとしなければならない。
一 坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務について、一日について労働時間を延長して労働させた時間 二時間を超えないこと。
二 一箇月について労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させた時間 百時間未満であること。
三 対象期間の初日から一箇月ごとに区分した各期間に当該各期間の直前の一箇月、二箇月、三箇月、四箇月及び五箇月の期間を加えたそれぞれの期間における労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させた時間の一箇月当たりの平均時間 八十時間を超えないこと。
・労働契約法4条
1 使用者は、労働者に提示する労働条件及び労働契約の内容について、労働やの理解を深めるようにするものとする。
2 労働者及び使用者は、労働契約の内容(期間の定めのある労働契約に関する事項を含む。)について、できる限り書面により確認するものとする。
労働経済判例速報2019.10.20
【産婦人科医が発症した精神障害について業務起因性を肯定した例】⇒広島地裁令和元年5月29日判決〈萩労働基準監督署長事件〉
第1 事案の概要
被災者(以下、「D」とする。)は、昭和57年3月にZ大学医学部を卒業し、平成11年4月に本件病院の産婦人科医として赴任した。Dは、赴任後、睡眠障害に悩まされるようになり、体調不良を訴えることも増え、気分転換に対する意欲興味を失っていき、周囲に自らの死を暗示させるような不穏な言動をするようになった。そして、Dは、平成21年3月23日未明ごろ、自宅のガレージ内で自殺した。
Dの妻(原告。以下、「X」という。)は、処分行政庁である萩労基署長(以下、「A」という。)に対し、Dの自殺は、過重な業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づく遺族補償給付等の支給請求をしたが、Aは、不支給決定を行い、その後の再審査請求も労働保険審査会が棄却する旨の裁決をした。そこで、Xは、その取り消しを求めて本件訴訟を提起した。
第2 主な争点
・Dが発病した精神障害の病名及び発病時期。
・Dが発病した精神障害に業務起因性が認められるか。
第3 裁判所の判断
1 精神障害の病名及び発病時期
Dの精神障害については、ICD-10によるうつ病エピソードの診断基準に即して検討する。
まず、定型症状については、平成21年1月頃までに「抑うつ気分」、「興味と喜びの喪失」、「易疲労感の増大」の3点が認められる。次に、一般的症状については、その頃までに、少なくとも、「集中力と注意力の減退」、「自己評価と自信の低下」、「将来に対する希望のない悲観的な見方」、「自傷あるいは自殺の観念や行為」、「睡眠障害」、「食欲不振」の6点が認められる。いずれも、2週間以上持続していたこと、Dにおいて、日常の仕事や社会的活動を続けるのに幾分困難を感じていることから、ICD-10による軽症うつ病エピソードの診断基準を満たし、その発病時期は平成21年1月頃と認められる。
2 精神障害の業務起因性
⑴ 判断基準
業務起因性が認められるには、業務と疾病等との間に相当因果関係が認められることが必要である(参考判例①)。そして、相当因果関係が認められるためには、労災保険制度が、労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、当該疾病等の結果が当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したものであると評価しうることが必要となる(参考判例②③)。
そして、精神障害の業務起因性の判断においては、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性とを総合考慮し、業務による心理的負荷が、平均的労働者を基準として、社会通念上客観的に見て、精神障害を発病させる程度に強度であるといえる場合に、当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したものとして、当該業務と精神障害の間に相当因果関係を認めるのが相当である。厚生労働省は、精神障害の業務起因性を判断するための認定基準(以下、「認定基準」という。)を策定しているが、その策定経緯、心理的負荷の強度を評価し判断するという内容、経験則に基づく合理的な推認判断としての一面も有すること等を踏まえると、当裁判所の認定判断においても、相応の合理性を有する。そのため、本件においては、認定基準を参考にしながら、個別具体的事情を総合的に考慮して、判断するのが相当である。
⑵ 心理的負荷の強度
以下、認定基準に沿って検討する。まず、Dは発病前概ね6か月の間に、月80時間以上の時間外労働を行ったと認められ、労働時間についての心理的負荷の強度は「中」と認められる。次に、Dは、発病前概ね6か月の間に2週間以上にわたる連続勤務を複数回行っており、連続勤務についての心理的負荷の強度も「中」と認められる。また、部下とのトラブルについては、周囲からも客観的に認識されるような対立が部下との間に生じていたといえ、その心理的負荷の強度は「中」である。
これらを総合すると、全体としてDの業務上の出来事における心理的負荷は大きいものであったといえ、本件における心理的負荷の強度は全体として「強」と認めるのが相当である。
なお、本件において、業務上以外で心理的負荷のある出来事は存在しないものと認められる。
⑶ 認定基準に沿わない場合
なお、認定基準を離れて判断するとしても、Dの精神障害の発病に近接した時点における勤務状況、部下との明らかな対立などの一般に心理的負荷が相当程度認められる出来事が生じ、これによりDの心身の状態が悪化していること、過去に勤務した医師の意見、Dが作成した文書等における指摘などを考慮すると、Dの業務と精神障害の間に相当因果関係が認められる。
⑷ 小括
したがって、Dが発病した精神障害について、業務起因性が肯定される。
第4 結語
以上より、Xの請求は、いずれも理由があり、認容すべきである。
〈参考判例〉
① 最高裁昭和51年11月12日判決(民集119号189頁。「熊本地裁矢代支部廷吏事件」)
② 最高裁平成8年1月23日判決(民集178号83頁。「地公災基金東京支部長(町田高校)事件」)
③ 最高裁平成8年3月5日判決(民集178号621頁。「地公災基金愛知県支部長(瑞鳳小学校教員)」)
〈精神疾患の認定基準〉(関係通達)
心理的負荷による精神障害の認定基準について(平成23年12月26日付け 基発1226第1号) [PDF形式:454KB]
心理的負荷による精神障害の認定基準の運用等について( 平成23年12月26日付け 基労補発1226第1号)[PDF形式:566KB]
精神障害による自殺の取扱いについて(平成11年9月14日付け 基発第545号)[PDF形式:51KB]
精神障害の労災認定(全体版(4,670KB))