労働経済判例速報 2020.10.20
【看護師の新生児死亡事故遭遇等に伴う精神的負荷とうつ病発症の公務起因性が認められた例】〈地方公務員災害補償基金事件〉福岡高裁那覇支部令和2年2月25日判決(消極)(原審:那覇地裁平成31年3月26日判決(積極))
第1 事案の概要及び主な争点
原告(以下「X」という)は、平成6年4月からA市立病院に採用され、産婦人科の看護師として勤務していた。そして、平成21年8月11日早朝に、新生児の死亡事故に遭遇し、その後の遺族対応をしたことから、心的外傷後ストレス障害を発症した等として、地方公務員災害補償基金沖縄県支部長(以下「B」という)に対し、公務災害認定請求をしたところ、Bが公務外の災害と認定する処分をしたため、Xは、Bの属する被告(以下「Y」という)に対して、本件処分の取り消しを求めた。主な争点は、Xのうつ病発症に公務起因性が認められるかである。
第2 第一審裁判所の判断(那覇地裁平成31年3月26日判決)
1 公務起因性の判断枠組みについて、公務上の災害に関する最高裁(参考判例)の判断枠組みを引用する。そして、精神疾患についての公務起因性の判断においても異なるところはなく、公務中の具体的状況における精神的負荷が、客観的に見て精神疾患を発症又は悪化させる程度に過重のものであるといえる場合に、職員が精神疾患を発症し又は悪化させたときは、当該精神疾患の発症又はその悪化は、公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうるものとして、当該公務と当該精神疾患との間の相当因果関係を認めるのが相当である。その判断に当たっては、認定基準等を十分に参照して検討するのが相当である。
2 Xは、本件事故のあった当日にはすでに、本件事故に関し死因をいぶかったり、自らの処置に誤りがなかったかについて自問を繰り返したりする状況にあり、翌日には心窩部痛を訴えて胃薬と精神安定剤の処方を受け、さらに、新生児にまつわる夢で夜中に目を覚ましたり、乳児の泣き声を聞いて手を震わせ、耳をふさいで冷や汗をかいたり、本件乳児が死亡前に見せた症状であるチアノーゼに過剰に反応したりする状況にあったことからすれば、Xは、本件事故を契機として、その直後からうつ病を発症するに至ったことは明らかである。
そこで次に、公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうるものであるかを検討する。その判断に際しては、本件事故が、一般的な看護師をしてうつ病を発症させるに足りる程度の強い業務付加に当たるか否かが検討されなければならない。まず、本件事故のように、看護師が自身の担当する新生児の急逝の場面に遭遇するという事態は、当該看護師に強度の精神的負荷を与える事象に該当しうる類型の出来事である。次に、パニック状態になったり感情的な論難の言辞を数多く浴びせられるといった遺族への対応も、看護師に精神的負荷を与える事象に該当する類型の出来事である。そうすると、本件事故は、一般的な看護師をしても、うつ病を発症させるに足りる強度の精神的負荷を与える事象に該当しうる類型の出来事として認められる。
これを前提として、本件事故が具体的な状況の下で、Xと業務経験等が同程度の産婦人科看護師にとってもうつ病を発症させうる程度に強度の精神的負荷を与える事象であったといえるか否かは、慎重に検討すべきところ、これについては、本件事故が、日常的に慣れた負荷とは異なる負荷をどのくらい与えるものであったかという出来後の異常性の程度と、それとの比較において、Xに顕れた反応が、業務経験等が同等程度の産婦人科看護師に顕れたとしても不思議ではない範囲のものと言えるかどうかを総合的に検討すべきものと解される。そして、本件でのXは、十分な心の準備のないまま、新生児の親族の苛烈な感情にさらされながら1人で応対しなければならないという非日常的な状況に追い込まれた看護師として、それだけでも相当強度の精神的負荷を科される状態に置かれたといえる。
以上からすると、本件事故は、本件事故までの経過の緊急性、非日常性に加えて、本件事故後もXに対する精神的サポートがなされずむしろ遺族対応につかせる等、Xと業務経験等が同等程度の産婦人科看護師にとっても、うつ病を発症させうる程度に強度の精神的負荷を与える事象であったと解するのが相当である。
3 したがって、Xのうつ病の発症は、公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうるものであり、本件事故とXのうつ病発症との間には相当因果関係が認められる。よって、本件処分は違法である。
第3 控訴審裁判所の判断(福岡高裁那覇支部令和2年2月25日判決)
1 本件事故及び対応とXのうつ病の発症との間に相当因果関係が認められるためには、最高裁(参考判例)の判断枠組みに沿って、Xのうつ病の発症が、市立病院産婦人科における看護師業務という公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうることが必要であると解される。その判断に関しては、本件事故及び対応が、Xと同程度の業務経験等を有する産婦人科看護師をして、うつ病を発症させるに足りる程度の強度の精神的負荷を与える事象といえるかを検討することとなる。
2 まず、本件事故は、生命の危機に瀕するような要因は全く把握されていなかったという入院中の新生児が、容体を急変させて死亡したというものであって、産婦人科の医師や看護師が経験する確率の低い稀な事例であるとは解されるものの、医療の現場においておよそ予期しえないとは言えない事故であり、Xと業務経験等が同等程度の産婦人科看護師を基準としたときに、事故の内容や状況に照らして、通常予想される範囲を超える程度の異常な出来事であったと認めることは困難というべきである。
次に、Xは、本件新生児の死亡前、パニック状態の母や憤慨している母方祖母等に対応し、本件事故後、本件事故に関する説明会において、約一時間遺族から医療過誤の疑念を含めた懐疑と怒りを込めた強い感情的な言動を多く受けたことが認められる。しかし、遺族の言動は、主に病院の責任を問うものであり、職員個人の責任を問うものではなかったことから、本件事故対応における遺族の言動が、Xに対する激しい脅迫やひどい嫌がらせ、いじめに該当するということはできず、また、仕事の失敗の責任を厳しく問われた場合にも該当すると評価することはできない。
したがって、本件事故及び対応によりうつ病を発症したことを認めるに足りる証拠はなく、Xの主張は採用することができない。なお、人事評価により、Xのうつ病が悪化したという事実も認められない。
よって、本件認定請求において公務外災害と認定した本件処分は正当であり、何ら違法な点は見当たらない。
3 以上の通り、Xの請求には理由がないから、これを認容した原判決は相当ではなく、本件控訴は理由がある。よって、原判決を取り消し、Xの請求を棄却する。
〈参考判例〉
・最高裁平成8年1月23日判決(集民178号83頁『地公災基金東京都支部長(町田高校)事件』)
地方公務員が労作型の不安定狭心症を発症し、入院のうえ適切な治療と安静を必要とし、不用意な運動負荷をかけると心筋こうそくに進行する危険が高い状況にあったにもかかわらず、狭心症発症の当日及び翌日も引き続き公務に従事せざるを得なかったなど判示の事実関係の下においては、狭心症発症の翌日における同教諭の心筋こうそくによる死亡は、地方公務員災害補償法にいう公務上の死亡に当たるとされた例。
地方公務員等の遭った災害がその補償の対象として認められるためには、公務と災害との間に相当因果関係が認められることが必要であり、この相当因果関係を認めるためには、当該災害が、当該公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうることが必要である。との判断基準を示す。
〈参考〉
・認定基準「精神疾患等の公務災害の認定について(平成24年地基補第61号)」
労働経済判例速報2020.10.30
【時間外勤務の必要性が客観的には認められないとして、うつ病発症の公務起因性が否定された例】⇒横浜地裁令和2年2月19日判決〈地方公務員災害補償基金事件〉
第1 事案の概要及び主な争点
原告(以下「X」という)は、平成18年4月神奈川県に採用された地方公務員であり、選挙管理委員会や法令審査等の業務に従事してきたが、平成24年11月7日、上司に今後仕事を続けていく自信がない旨述べて退職を申し出たが、これを撤回し、同月24日、うつ病の診断書を取得した。その後、平成25年6月11日に退職した。Xは、うつ病が公務に起因するとして、平成27年2月25日、公務災害の認定請求を行ったが、処分行政庁は、平成28年9月20日付けで公務外の災害と認定する旨の処分を行った。Xは審査請求も行ったが、棄却されている。そこで、Xは、平成30年7月6日、本件処分の取り消しを求めて本件訴訟を提起した。主な争点は、Xのうつ病の発症について公務起因性が認められるかである。
第2 裁判所の判断
まず、地方公務員災害補償法に基づく補償について、職員に生じた負傷、疾病、傷害又は死亡が公務上の災害と認められるためには、当該傷病等の結果が、当該公務に内在又は随伴する危険が現実化したものであると認められることが必要であるが、これをもって足りるものと解される(参考判例①②)。ところで、上記公務起因性の判断基準として、Yが発出した認定基準があるところ、この基準は複数の精神科医により構成された研究会において、その当時の最新の知見に基づいて作成された報告書によって策定されたものであると認められるから、公務に内在又は随伴する危険性が現実化したものかどうかを判断するにあたって、特段の事情がない限り、認定基準に沿って判断するのが相当である。
Xは平成24年11月にうつ病を発症したものと認められるため、認定基準にいう概ね6か月前とは、平成24年4月ないし5月ころとなり、その時点以降のうつ病発症までのXに関する出来事について判断する。
Xは平成24年4月以降、選挙管理委員会に関する業務に従事していたが、同業務は、通常、他の業務と並行して行うものであり、新人が担当することもあるものであること等から、同業務がそれほど負担の大きいものであるとはいえず、同業務による負荷が特に過重であったとは認められない。また、法令審査等に関する業務も、Xが異動直後であったことを考慮されていたことや、新人が行う場合もあったこと等から、それほど負担の大きいものではなかったといえ、同業務による負荷が特に過重であったとは認められない。
Xのうつ病発症前概ね6か月間の時間外勤務時間数は、多い月でも約28時間であり、他の月も全く時間外勤務をしていない月もあることからすると、Xの時間外勤務時間は、認定基準の数値(直前1か月でおおむね160時間)には到底達しないし、これに類比すべき状況にあったとも認められない。なお、Xは、時間外勤務命令を受けていないのに始業時間前に出勤していたという事実は認められるものの、始業時間前に出勤し、行っていた業務は始業時間後に行っても支障のないものであり、Xと同様の業務を担当している職員に始業時間前から出勤している職員は存在しないことからすると、Xが始業時間前に、時間外勤務命令を受けずに行っていた業務については、その必要性が客観的に認められないため、認定基準の適用上、Xの始業時間開始前の業務時間を時間外勤務時間として考慮することはできない。さらに、Xは、就業時間後にも時間外勤務を行っていたが、その内容が明らかではないこと等の理由から、その必要性を客観的に認めることはできず、認定基準の適用上、Xの終業時間後の業務時間を時間外勤務時間として考慮することはできない。
以上からすると、Xがうつ病を発症したことが認められるものの、Xの業務負荷の程度及び時間外勤務時間数によれば、認定基準には該当せず、Xにうつ病発症前のおおむね6か月の間に、業務による強度の精神的または肉体的負荷があったとは認められないから、Xのうつ病の発症について公務起因性は認められない。よって、Xの請求は理由がない。
①最高裁平成8年1月23日判決(集民178号83頁『地公災基金東京都支部長(町田高校)事件』)
〈参考判例〉
地方公務員が労作型の不安定狭心症を発症し、入院のうえ適切な治療と安静を必要とし、不用意な運動負荷をかけると心筋こうそくに進行する危険が高い状況にあったにもかかわらず、狭心症発症の当日及び翌日も引き続き公務に従事せざるを得なかったなど判示の事実関係の下においては、狭心症発症の翌日における同教諭の心筋こうそくによる死亡は、地方公務員災害補償法にいう公務上の死亡に当たるとされた例。地方公務員等の遭った災害がその補償の対象として認められるためには、公務と災害との間に相当因果関係が認められることが必要であり、この相当因果関係を認めるためには、当該災害が、当該公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうることが必要である。との判断基準を示す。
②最高裁平成8年3月5日判決(集民178号621頁『地公災基金愛知県支部長(瑞鳳小学校教員)事件』)
小学校教師がポートボール練習試合の審判中、脳内出血で倒れ死亡した事件につき、「午前中に脳内出血が開始し、体調不良を自覚したにもかかわらず、直ちに安静を保ち診察治療を受けることが困難であって、引き続き公務に従事せざるを得なかったという、公務に内在する危険が現実化したことによる」ものと判断された例。
〈参考〉
・「精神疾患等の公務災害の認定について」(平成24年3月16日付地基補第61号。認定基準)
【有期雇用契約の試用期間中の解雇がやむを得ない事由から認められた例】⇒東京地裁令和2年3月27日判決〈メディカル・ケア・サービス事件〉
第1 事案の概要及び主な争点
原告(以下「X」という)は、平成30年7月1日、認知症対応型共同生活介護事業等を営む被告(以下「Y」という)に、雇用期間を同年12月31日まで、試用期間原則3か月として採用された。同年9月3日、Xは、Yから自宅待機命令を受け、同月7日に、普通解雇された。そこで、Xは、本件解雇が無効であるとして賃金の支払いを求めるとともに、Yの使用人からパワハラを受けたとして不法行為に基づいて慰謝料や弁護士費用の支払いを求めて訴えを提起した。主な争点は、本件解雇の有効性と不法行為の成否である。
第2 裁判所の判断
1 Xは、繰り返し注意や指導を受けたにも関わらず、入居者の心情に対する配慮に欠け、その意欲や自立心を低下させたり、羞恥心を喚起したりする言動に及んだり、従業員に対する粗暴な言動に及び続けていた。そうすると、Yにおいて、Xに対し、当初は入居者の介護を行うことが予定されていたにも関わらず、入居者と直接接する介護の業務を依頼することが困難な状況になっていたといわざるを得ない。さらに、従業員に対し、身勝手な言動や、他の従業員らに対する威圧的な言動に及び続けるため、Xに対し、入居者とは直接接することがない業務を依頼することも困難な状況となっていた。加えて、本件解雇が試用期間中のものであったことからすれば、本件雇用契約が有期であったことを考慮しても、本件解雇にはやむを得ない事由があり、有効であるというべきである。したがって、本件解雇が無効であることを前提とする賃金請求には理由がない。
2 Xは、Yの施設庁等から怒鳴られたり人格を否定するような発言を受けた等の主張をしており、同趣旨の供述をしている。しかし、Xの上記の内容の供述には、的確な裏付けがなく、また、極めて唐突なものであるほか不自然なものであって、直ちに採用することはできない。ほかにXの主張する不法行為に関する事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、不法行為に基づく損害賠償請求にも理由がない。
3 以上より、Xの請求にはいずれも理由がない。
〈参考法令〉
・労働契約法17条
1項 使用者は、期間の定めのある労働契約(以下この章において「有期労働契約」という。)について、やむを得ない事由がある場合でなければ、その契約期間が満了するまでの間において、労働者を解雇することができない。
2項 使用者は、有期労働契約について、その有期労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その有期労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない。