労働経済判例速報2020.5.30
【身体的に男性であるトランスジェンダーに対して職場の女性トイレを自由に使用させることを命じた事例】⇒東京地裁令和元年12月12日〈経済産業省事件〉
第1 事案の概要及び主な争点
身体的性別は男性であり、自認している性別は女性である原告(以下「X」という)は、経産省にて国家公務員として働いていたが、女性用トイレについては、Xの部署の執務室があるフロアから2階以上離れたトイレの使用しか認めない処遇を受けていた。Xはこのような処遇は、経産省の職員らが職務上尽くすべき注意義務を怠った結果であり、これにより損害を被ったとして国賠法1条1項に基づき、被告(以下「Y」という)に対して慰謝料等の合計1652万6219円等の支払を求める等した。主な争点は、トイレ使用に関する上記処遇が違法か否かである。
第2 裁判所の判断
1 まず、トイレを使用する者がその身体的性別又は戸籍上の性別と異なる性別のトイレを使用することを直接的に規制する法令等は存在しないため、トイレに係る処遇については、専ら経産省が有する庁舎管理権の行使としてその判断のもとに行われる。
2 他方、性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして扱われており、個人の人格的な生存と密接かつ不可分のものということができるのであって、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として国家賠償法上も保護されるものというべきである。そして、トイレが人の生理的作用に伴って日常的に必ず使用しなければならない施設であって、現代においては人が通常の衛生的な社会生活を送るにあたって不可欠のものであることに鑑みると、個人が社会生活を送る上で、男女別のトイレを設置し、管理する者からその真に自認する性別に対応するトイレを使用することを制限されることは、当該個人が有する上記の重要な法的利益の制約にあたる。
3 本件でXは、医師から性同一性障害との診断を受けており、また、経産省の庁舎内のトイレの構造、女性と認識される度合いが高かったXの容姿等、民間企業における運用、トランスジェンダーによる性自認に応じたトイレ等の男女別施設の利用をめぐる国民の意識や社会の受け止め方には相応の変化が生じていること等の事情に照らせば、経産省による庁舎管理権行使に一定の裁量が認められるとしても、本件トイレに係る処遇を継続したことは、庁舎管理権の行使にあたって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上違法の評価を免れない。
第3 結語
以上のように、女性用トイレの使用制限は、国賠法上違法であり、その他の事情を合わせて考慮すると、Xの請求は、Yに対して慰謝料120万円及び弁護士費用相当額12万円を求める限度で理由がある。
〈違法と認定された行為〉
「なかなか手術を受けないんだったら、服装を男のものに戻したらどうか」という旨の発言。
〈相当性を欠く行為〉
・直属の上司がXに対して、性別適合手術を受けていない理由を尋ねること。
〈性同一性障害に対する知識や理解にかける不相当な行為〉
・女性用トイレの使用を現に希望しているXに対して、戸籍上の性別が男性である者が女性用トイレを使用した場合にセクシュアルハラスメントが成立する可能性があることに言及すること。
〈参考〉
「事業主が職場における性的言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針(いわゆる「セクハラ指針」)」(平成18年厚生労働省告示第615号)最終改正:平成28年8月2日厚生労働省告示第314号
「職場におけるセクシュアルハラスメントには、同性に対するものも含まれるものである。また、被害を受けた者(以下「被害者」という。)の性的思考又は性自認に関わらず、当該者に対する職場におけるセクシュアルハラスメントも、本指針の対象となるものである。」(以下、略)
労働経済判例速報2020.6.10
【労働者の自殺につき一審では業務起因性が否定されたが、控訴審でその判断が覆された例】⇒青森三菱ふそう自動車販売事件
第1 事案の概要及び主な争点
控訴人(原審原告。以下「X」という)らの子である亡Aは、平成27年4月1日から被控訴人(原審被告。以下「Y」という)において従事していたが、平成28年4月16日、Yの工場内に設置された天井クレーンの先につながれていた金属製のワイヤーに首を吊った状態で発見され、同年5月9日、低酸素脳症により死亡した。Xらは、亡Aの死亡について、Yにおける違法な長時間労働等により精神疾患を発症したことが原因であるとして、Yに対して、亡Aの上司が亡Aに対する業務上の指揮監督権限を有するにもかかわらず、亡Aの違法な長時間労働を軽減する措置をとらなかった過失又は安全配慮義務違反があったとして、使用者責任、Y自身の不法行為責任又は雇用契約上のYの債務不履行責任に基づき、X1につき4437万3990円、X2につき、4340万7234円の損害賠償および遅延損害金の支払いを求めた。
原審は、長時間労働に起因するうつ病を原因として自殺をしたものと認めるに足りないとして請求を棄却したが、Xらは控訴した。なお、原判決後の平成30年12月、八戸労働基準監督署長は亡Aにつき平成28年1月上旬には業務に起因して適応障害を発症し、これにより自殺するに至ったとする労災認定をした。主な争点は、亡Aの自殺の原因、Yの責任原因である。
主な争点は、亡Aの自殺がYにおける長時間労働に起因するうつ病によるものか否か、Yの責任原因である。
第2 裁判所の判断
1 原判決の判断〈青森地裁八戸支部平成30年2月14日判決〉
⑴ 長時間労働について
Yでは、従業員の時間外労働時間は、就業時間報告書で管理されているところ、亡A作成の就業時間報告書の記載によると、亡Aの残業時間は1か月あたり50時間から80時間に収まっている。この点について、Xらは、亡Aは上司の指示により残業時間を過少申告していたと主張しており、確かにYでは、三六協定に違反する80時間を超える時間外労働がされた場合に、就業時間報告書上は、月80時間を超えないようにその記載内容を操作していた事実は認められ、亡Aも、月80時間を超えないように就業時間報告書には、実際の作業時間よりも少なめに記載していた可能性も否定できない。しかし、80時間を大きく下回る月もあることからすると、亡Aが常に月80時間を超える残業をしていたとみるには疑問がある。
また、亡Aが遅い時間に仕事を終えた旨のlineのやり取りも存在するが、これはあくまでも私的なやり取りに関するもので、亡Aが退社後にどこでメッセージを残したのかも明らかではなく、このことから直ちに亡Aの就業時間を推認することはできない。さらに、退社後自宅に戻るまでの亡Aの行動が明らかではない以上、亡Aの帰宅時間だけで亡Aの就業時間を推認することはできない。これらの事情からすると、亡Aの残業時間が実際に月80時間を超えていなかったと断定することはできないが、月80時間を超えていたことを積極的に裏付ける的確な証拠もない。
したがって、亡Aが、就業時間報告書に記載した残業時間を大幅に超えて、Xらが主張するような常軌を逸した長時間労働が常態化していたものと認めるには足りず、亡Aが自殺に直結するほどの長時間労働であったと認めることはできない。
⑵ 鬱病の罹患について
亡Aには、精神面での不調を理由とする通院の事実等はなく、自殺当日まで欠勤することもなく、休日においても買い物や趣味の時間を過ごしていたこと等からすると、亡Aについてそもそも抑うつ等の具体的な鬱病発症の兆候自体があったとはいえない。
2 控訴審の判断〈仙台高裁令和2年1月28日判決〉
⑴ 亡Aの自殺の原因
亡Aの自殺の原因について、本件労災認定は、「心理的負荷による精神障害の認定基準」に基づいて認定されているところ、同基準は、裁判実務上、精神障害の業務起因性を判断する際、医学的知見を踏まえた合理的な基準として採用されているところ、Yもその合理性自体は争っていない。本件労災認定は、亡Aにつき「仕事の量・質」「地位が変わった」として業務に起因する適応障害が原因としているところ、Yは、そのような認定は誤りである旨主張する。
しかし、亡Aは、平成27年7月の本採用に伴い、使用期間中の研修としての業務とは異なり、軽自動車ではあるが主担当としての配転をうけ、その責任において車検整備作業をするとともに、先輩従業員の補助としてではあるが、大型車の車検整備作業もするようになったことから、業務上の地位および業務内容の変化があったということができる。これに加え、業務習熟の程度、習熟に要する期間等には個人差があること、現に亡Aは本採用後長時間の時間外労働を余儀なくされたこと等に鑑みれば、亡Aの作業状況を踏まえた先輩従業員の適切な援助環境があったとか、業務が過重ではなかったとはいいがたい。そのため、本件労災認定が指摘する上記2項目について、心理的負荷の強度は「中」と位置づけても差し支えない程度の出来事は認められる。
また、亡Aの長時間労働について、Yでは、就業時間報告書において時間外労働時間が月80時間を超える場合には、これを超えない数字に書き直させるという運用がなされていたところ、亡Aの終業時間報告書にも修正の痕跡があり、lineのメッセージをみると、就業時間報告書の記載よりも相当遅い時間帯に仕事を終えた旨のメッセージが複数回送信されていること、亡Aが月80時間を超えないように検討しながら日々時間が労働時間を記載していたとは考えられないことから、亡Aの時間外労働時間は、本件労災認定が前提とした時間を下回るものではない。
そうすると、本件労災認定を不合理ということはできず、亡Aの自殺は、亡Aが平成28年1月上旬、それまでのYにおける業務に起因して適応障害を発症したところ、その後も長時間労働が続き、出来事に対する心因性の反応が強くなっていた中、先輩従業員から叱責されたことに過敏に反応してしまったことが原因であると認められる。
⑵ Yの責任
亡Aが適応障害を発症して自殺を図るに至ったことについては、亡Aの上司らにおいて、亡Aの業務上の役割・地位及び仕事量・質に大きな変化による心理的負荷に特別な配慮を要すべきであったところ、亡Aの過重な長時間労働の実態を知り、または知りうるべきであったのに、かえって従業員が実労働時間を圧縮して申告しなければならないような労働環境を作出するなどして、これを軽減しなかったことに要因がある。
そのため、亡Aの上司らには亡Aの指導監督者としての安全配慮義務に違反した過失がある。そうすると、Aは、使用者責任に基づき、Xらに対し、亡Aの死亡につき同人及びXらが被った損害を賠償すべき責任を負う。
第3 結語
以上からすると、亡AがYにおける長時間労働に起因するうつ病を原因として自殺をしたものと認めるに足りず、したがって、Xらの請求は理由がない。