労働経済判例速報2019.9.20
【医師手当の固定残業代該当性が肯定され、労基法上の管理監督者ではないものに支給した管理職手当の不当利得返還請求が認められた例】⇒東京地裁平成31年2月8日判決〈社会福祉法人 恩賜財団母子愛育会事件〉
第1 事案の概要
原告(本訴原告反訴被告。以下「X」とする。)は、被告(本訴被告反訴原告。以下「Y」とする。)と雇用契約を締結し、Yの運営する病院で勤務する医師であり、Yから明文の規定のない医師手当及び給与規則に従った管理職手当の支給を受けていた。Yは労働監督署からの指導により、平成22年3月、給与規則、医師手当支給内規の一部改正及び超過勤務手当支給内規の新設を行い、同年4月1日に同内容の改定を行った。
Xは、Yに対して未払割増賃金として4392万1753円、未払いの管理職手当として90万円の支払い、及び各遅延損害金並びに付加金の支払いを求めて本訴を提起した。これに対して、YはXには管理職手当の受給資格がなかったとして過誤払金である157万5000円及び遅延損害金の支払いを求めて反訴を提起した事案。
第2 主な争点
①医師手当及び②管理職手当が割増賃金の基礎となる賃金に該当するか否か、実労働時間の認定方法。
第3 裁判所の判断
1 ① 医師手当の固定残業代該当性
医師手当は、給与規則および内規の規定ぶりから、Y財団における賃金体系の中では時間外労働に対する対価として支払われるものと位置づけられ、運用されていた。また、超過勤務手当支給内規においても、医師の超過勤務、休日勤務に係る手当としての業務延長・宿日直・土曜外来の合計時間を超過勤務として計算した額と、医師手当及び宿日直手当の合計額を比較して多い方の額を支払うとされており、前者の方が多い場合には後者の合計額との差額を医師差額として支給していた。さらに、保険給与規則及び医師手当支給内規の改定、超過勤務手当支給内規の新設は、これまで不明確ながら運用されていた医師手当が固定残業代にあたることを明確化し、労働基準監督署から是正や改善の求めに対応するものであるため、その必要性は高い。内容としても是正勧告や改善指導に沿ったものであり、その変更内容には相当性も認められる。Y財団は上記内規の改定及び新設後、医師にその内容を示し、説明を行っているうえ、医療機関として医師の労働環境の改善に向けた努力を行っていると推認されることなどを合わせて考えると、上記改定・新設はXに対しても効力を生ずるというべきである。
以上からすると、医師手当は固定残業代に該当し、割増賃金の基礎となる賃金には含まれない。
2 ② 管理職手当
本件給与規則の規定ぶりからすると、管理職手当の支給対象者は、労働基準法41条2号の管理監督者であると理解するのが相当である。また、就業規則等をみても、これと異なる解釈をすべき事情は存在しない。そして、Xは管理監督者の地位にはなく、管理職手当の受給に関するXの各主張認められないこと、Y財団が管理職手当の返還を求めることが権利濫用に当たるという事情もない。
以上からすると、Xにはそもそも管理職手当の受給権限はないのであり、Xは過去に支払われた管理職手当について被告財団に対して、不当利得として返還すべき義務を負う。また、管理職手当は、割増賃金の基礎となる賃金に該当しない。
3 実労働時間の認定
A病院の医師は、出勤してから退勤するまで、常に連絡が取れる状態を維持し、連絡があれば必要な対応を行うこととされているうえ、休憩についての明確なルールもなかったことからすると、労働から解放されていたことが証拠上明らかであると認められない限り、出勤してから退勤するまでのすべての時間を労働時間と解するのが相当である。そして、労働時間の認定については、従業員が手書きで記入する超過勤務命令書よりも、タイムカードの打刻の時刻を主とする方が、証拠としての信用性が高く、医師の労働実態にも合致する。したがって、タイムカードの打刻で特定できない部分について超過勤務命令書その他の証拠によって時刻を認定すべきと解する。
そうすると、所定労働時間である7時間35分を超える部分に限り、超過勤務時間として計算するのが相当である。
第4 結語
以上より、裁判所は、本件雇用契約に基づく未払賃金として2463万5843円、労働基準法114条に基づく付加金請求権として1806万9744円並びに各遅延損害金の支払いを求める限度でXの請求を認容した。また、Xには管理職手当を受給する権利は認められないとして、Yの反訴請求を認容した。
〈参考判例〉
・最高裁平成6年6月13日判決(民集172号673頁。〈高知県観光事件〉)
・最高裁平成24年3月8日判決(民集240号121頁。〈テックジャパン事件〉)
・最高裁平成29年7月7日判決(民集256号31頁。〈医療法人康心会事件〉)
・最高裁平成30年7月19日判決(民集259号77頁〈日本ケミカル事件〉)
労働経済判例速報2019.9.30
【退職勧奨を拒否し、配置転換された後の人事評価が不当とされ解雇が無効等と判断された例】⇒東京地裁平成31年3月28日判決〈フジクラ事件〉
第1 事案の概要
原告(以下、「X」とする。)は、無期雇用契約社員として被告(以下、「Y」とする。)に勤務していたが、被告から早期退職優遇制度を活用して退職するように求められた際、これを拒んだ。本件は、Xの上記退職勧奨拒否の後にYによってなされた、配転命令、出向命令、戒告処分、解雇が無効であると主張して、Xが労働契約上の地位の確認と加給・賞与減額の無効を前提に差額等の支払いを求めて提訴した事案である。
第2 主な争点
・原告が被告に対してその主張に係る減額分の月例賃金(加給)及び賞与の請求権を有するか。
・本件解雇、本件出向命令の有効性
第3 裁判所の判断
1⑴ 月例賃金(加給)の請求権
Yの賃金規則等によれば、Yの従業員はYに対して、新たな査定によってその額が改定されるまでは、月例賃金に係る請求権として、直前の査定に基づいて決定された額の加給の請求権を有する。Yは、配転命令発令後の期間に関してXに支給すべき加給について改定したと主張するが、その基準が全く明らかではない上、当該期間にかかる人事考課の結果がどのような形で査定に用いられたのかも不明であることから、当該改定によりXがYに対して有する請求権の内容となる月例賃金の額を減額したとは認定できない。Y主張の改定に係る人事評価の正当性に疑いがある。
以上からすると、Yが主張する本件改定はその権利を濫用したものであり、効力は生じず、XはYに対して配転命令の発令前の人事評価に基づく月例賃金としての加給請求権と発令後の人事評価に基づいて支給された加給の額との差額に相当する加給の請求及びその支払期日後に生ずべき遅延損害金の請求権を有する。
⑵ 賞与の請求権
賞与については、Yの賃金規則において、当該営業期の業績に応じて支給することとされており、計算の根拠となる定めもないことから、一定額を当然に請求できるという性質のものではない。そして、対象期においてXが、Yから賞与を支払われるべき業績を有していたと認めるに足りる証拠はないため、XはYに対して差額分の賞与の請求権を有するものということはできない。
2⑴ 本件解雇の有効性
Yは、Xの解雇の有効性について様々な観点から主張をしている。しかし、Xの業務の態度に関して解雇を基礎づけるような悪質な問題等があったとは認められない。また、Xが作成した文書に検討や修正を要する点があり、検討が不十分であったとしても直ちにXの業務が悪質なものとはいえない上、欠勤の状況や短時間勤務の状況についても殊更にXを非難することはできない。さらに、Xには懲戒事由に該当しうる行為があったものの、その行為によりYに与える影響の小ささを考慮すると直ちに解雇を基礎づけるとは言えない。
以上からすると、Xの行為について解雇の原因となるような悪質なものや、Yとの信頼関係を破壊するような具体的な事由があるとは言えないため、本件解雇は客観的に合理的な理由があるとは言えず、社会通念上相当であると認めることもできない。したがって、本件解雇は労働契約法16条の規定により無効となる。
⑵ 本件出向命令の有効性
まず、出向命令は、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、無効となる(労働契約法14条)。Xは、本件の出向先において求められる知識、経験及び能力を備える者に合致したものであったこと、本件出向先は業務量等を調整しやすい部署であったため本件出向命令発令当時のXの健康状態に鑑みてもXを配置する必要性が高かったことなどから、本件出向命令については、業務上の必要性があり、合理的な人選が行われたといえる。また、本件出向によりXが大きな不利益を被ったという事実もないことから、本件出向命令が権利濫用であるとは言えず、有効というべきである。
第4 結語
以上のように、裁判所は、原告の請求のうち、加給及びこれに対する遅延損害金の支払い、本件解雇が無効であることについては理由があると判断した。
なお、本件出向命令が有効である以上、配転先で勤務する義務が存在しないことについては確認の利益は認められない上、戒告の性質から本件戒告処分の有効性についても確認の利益はないとした。
〈参考判例〉
・最高裁平成15年4月18日判決(民集209号495頁。〈新日本製鐵事件〉)
退職後の一定期間における競業事業者への就職等の禁止を定める誓約書の効力を一部無効とした例⇒東京地裁平成31年3月25日判決〈アクトプラス事件〉
第1 事案の概要
被告1(以下、「Y1」とする。)と被告2(以下、「Y2」とする。)はそれぞれ、有期雇用契約又は無期雇用契約を原告(以下、「X」とする。)と締結し、XのFACTORY事業部に勤務していた。Y1は平成29年7月27日付、Y2は同年9月6日付でXを退職したが、両人ともに退職日よりも前に業務執行社員としてXと同種の業務を営む被告会社(以下、「Y会社」とする。)に登記されていた。
本件は、XがYらに対してY1及びY2の行為が就業規則及びY1が退職の際に署名押印した誓約書に反するとして債務不履行・不法行為・会社法597条違反を構成し、これに基づく損害賠償として連帯して約1500万円の支払いを求めた事案である。
第2 主な争点
① 本件就業規則及び本件誓約書の有効性。
② Y1及びY2は、Xに対し、債務不履行、不法行為又は会社法597条に基づく損害賠償義務を有無。
第3 裁判所の判断
1 本件就業規則及び本件誓約書の有効性
⑴ 本件就業規則
Xにおいて、就業規則という名称の電子ファイルが存在することは認められるが、Xが同電子ファイルの保存場所やその内容の確認方法について従業員に対して説明していたという事実は認められないうえ、その変更手続きも判然としないことから、本件就業規則は周知等されていたとは認められず、Y1及びY2に対して効力は及ばない。
⑵ 本件誓約書
本件誓約書についてのY1の署名押印について、Y1の意思表示に瑕疵があったことを認めることはできない。しかし、本件誓約書の第6条は、X退職後の競業の禁止を定めるものであるが、このような制限はY1の職業選択の自由を制限するものである上、XにおけるY1の業務に鑑みると、ここまでの制限を課すべき具体的必要性が明らかでなく、このような制限に対する特段の代償措置も設けられていないことからすると、本件誓約書6条は公序良俗に反し無効である。
そのため、本件誓約書については、第6条を除き、Y1にその効力が及ぶ。
2 Y1及びY2は、Xに対し、債務不履行、不法行為又は会社法597条に基づく損害賠償義務を負うか。
XにおいてY2が行っていた業務は、WeChatを利用して派遣社員を募集するという、もともとXが知らなかった方法を用いて行われていたため、Xが支給していた携帯電話では行うことができず、Y2個人が所有する携帯電話を使用してなされていた。また、XがWeChatに対応できる携帯電話を支給するに至った後もY2が自己所有の携帯電話で業務を行っていたことを知りながら、権利関係を明らかにすることもせず、特段の指示もしていない。そうすると、XにおいてY2が行っていた業務の方法はX独自のノウハウに基づくものであるとは言えず、Y2が有していた情報もXにおける業務上形成されたものとは言えない上、権利関係も明確になっていなかったのであり、Yらがこれを利用することが直ちに違法になるとは言えない。また、Y1とY2による引き抜き行為等も証拠上認められない。
第4 結語
以上より、本件就業規則及び本件誓約書第6条はY1及びY2に効力を有しない上、YらにおいてXの業務を妨げる違法な行為があったことは認定できず、これらが認められることを前提としたXの主張は認められない。
〈参考法令〉
会社法597条
業務を執行する有限責任社員がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該有限責任社員は、連帯して、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。